文化

続けることに理由はいらない。 コロナにも負けない御柱の伝統

第204回 御柱祭を取材して感じたこととその記録

辰野町に来て3年。ここで暮らしていると必ず耳にする「御柱祭」。そのたびに「一体どんなお祭りなんだろう?」と想像をかき立てられてきました。そして2022年。「御柱を山から切り出す、“木場出し”っていう作業があるから山の中に来るといいよ」。川島の方に教えてもらい、ついに御柱祭の取材が叶いました。“木場出し”から“立て御柱”に至るまでのみなさんの勇姿、肌で感じた御柱の魅力について書いてみたいと思います。

(町外の読者の方のためにも)御柱祭とは山から御神木を切り出し、山出し、里曳きし、神社に立てて祀る、7年に一度の神事のこと。御柱というと、辰野町のご近所である諏訪地域の御柱祭は、山から御柱を落とすという派手な見せ場があり、全国的にも知られていますが、実は辰野町の御柱も各地域ごとに特色があり、歴史も深く、極めて稀少で意義深いお祭り。価値と知名度は必ずしも一致しないのかもしれません。

そんな辰野町の御柱祭は、「伊那御柱」ともいわれ、宮木諏訪神社、三輪神社、法性神社の三神社で行われます。さらに、渡戸を除く川島と小野では別時期に独自の御柱祭も行われるので、辰野町は町全体で御柱の文化が残っている点も貴重です。

今回取材したのは、204回を迎える宮木諏訪神社の御柱祭。川島区の渡戸耕地に加えて、上島と今村の3つの地域が共催します。驚くべきはこの回数。昔から7年に一度の開催であったかは諸説あるそうですが、確実に数百年以上つづいており、全国的に有名な諏訪御柱にも負けない歴史を誇っています。さらに興味深いのは、なぜ7年に一度なのか、なぜ木を切って御神木として祀るのか、さまざまな云われはあるものの、正確な理由や背景がわかっていないということ。実際、何人もの方に聞いてみましたが、「理由はさておきやるものなんだ」という答え。もしかすると、明確な目的がないからこそ、ここまで続けてこられたのかも…? 第一回目の御柱祭がどんな理由で始まったのか、妄想するとロマンが広がります。
取材の始まりは2022年3月13日の朝8時、木場出しという作業から。山の中の木のうち、特に立派で真っ直ぐな木を「御用材」として選定し、神事を経て御用材に神を宿らせることで「御神木」に。御柱を山の中から引きずり下ろすのが木場出しです。今回、取材した御神木は180センチを越える太さ。7年に一度、御柱として使える太い木を確保することは容易ではなく、山の木を長期的な目線で育てていかなければいけません。その意味では、山を大切に保全管理する必要も出てくるため、近年叫ばれているSDGsや自然資源の持続可能な利用という観点からも御柱祭は重要なのではないかと感じました。
「よいしょ!よいしょ!」という威勢の良い掛け声が山の中にこだまします。50人を超える男性陣の力によって巨木がズルズルと音を立てて少しずつ山から下ろされていきます。「御柱が落ちるから離れろ!死ぬぞ!」。緊張感のある怒声が時々聞こえてくる木場出しの作業。1時間以上をかけて、山の下まで下ろされていきました。
ここからが見どころ…!ですが、筆者の力量と紙面不足のため続きは次号でご紹介させていただきます。

1時間以上に及んだ木場出しの様子

執筆・写真:北埜航太

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