お生まれは川島区源上。現在は辰野町宮木湯舟にお住まいですが、源上の畑から採れた新鮮な野菜を、かやぶきの館に納めていただいています。矢ヶ崎家の先祖代々受け継がれてきたこのお宅でお話を伺いました。
250年以上、代々受け継がれてきたこの家を残したいという思い
本日はよろしくお願いします。矢ヶ崎さんはお元気ですね(伊藤)
昭和23年生まれ、今年77才になります。私はひとりっ子で。生まれも育ちも源上ですが、結婚を機に宮木湯舟に移り住みました。5年くらい大学も含め東京にいまして。ここに戻って来てからは、諏訪の精密業の会社に就職しました。退職してからも、なんだかの形で辰野町に関わっていたいという気持ちがありました。先祖代々受け継がれてきたこの家は、250年以上経っています。何としても私が生きているうちは残さないといけない、そんな思いで天井まで雑巾掛けをします。信濃毎日新聞が取材に来たこともありました。この家は農業と林業をしていましたが、お蚕さんも飼っていたのだと思います。この辺の畑はほとんどお蚕さんのための桑畑でした。
かやぶき屋根ではなく板の屋根。1番最初に板の屋根にした家なので、屋号は「板屋」です。祖父が村長をしていた関係で、小さい頃から人の出入りの多い家でした。子どもながらに地域に貢献をしようという思いは自然に身につきましたね。源上は当時40世帯くらい、あの頃は3世代で暮らすのが当たり前だったので120人は人口がいたんじゃないかな。川島だけでスクールバスが3台も走っていましたよ。子どもは多かったです。
黒電話も川島に5台くらいしかなかった時代に、皆さんうちに電話を借りに来ましたよ。不思議なことに蔵の家紋は「丸に梶の葉」ですが、仏壇は「武田菱」。武田信玄は諏訪大社を大切にしたので紋は「梶の葉」ですよね。当時先祖がどんな考えでそうしたのか分かりませんが。瑞光寺もそうです。「武田菱」「下がり藤」2つの紋を使っています。先祖代々の文化を「古いから処分してしまおう」ではなく、歴史は常に繋げなければならないと思います。お金の問題ではありません。壊すか残すかは、思いひとつです。




自分たちで工夫した自然との遊び
この辺は「カジカ」がたくさん川にいてね。ガラスのケースを覗きながら割り箸に針をつけてモリを作って、誰が1番多く捕まえるか競っていました。素焼きにするとおいしいんですよ。夏休みは、自然相手の遊びばかりしていました。今の子は川遊び、山遊びをしませんね。川に入ればわかります、経験でね。苔が生えている場所は滑りやすいとか。渦が巻いている箇所はあそこだとか。万が一溺れても慌てず流れに身を任せていれば体は浮かぶとか。今の子どもは知らない、それは非常に問題ですね。秋は稲刈りが終わった田んぼで、球技大会をやったりね。源上には優秀なピッチャーがいて強かったですよ。優勝もしました。柿の木は、脆いので折れやすいから近づかないとか、甘柿か渋柿か見分けられた。アケビや山栗も採りました。蛇石から上はトチの木が多く、トチの実を採ってトチ餅にしました。おいしかったなあ。キャンプも三級の滝まで歩いて行きました。

反対側の蔵の紋は梶の葉です
林業か鉱山かお蚕さんが主な産業でした
営林署と浜横川鉱山がありましたので活気がありました。浜横川鉱山にはクラブハウスもありましたよ。売店もあって明治のキャラメルが当時15円でした。皆さん町中からバスや自転車で通勤し、バスの本数も多かった。辰野町で新品のダンプカーを最初に導入したのは、浜横川鉱山だったと思います。それまではシャベルで掘って運んで大変な労力でした。初荷の時はダンプカーにミカンを積んで道へばら撒いてね。質の良い二酸化マンガンが採れ、最盛期には国内1、2位の鉱山でした。
辰野町浜横川鉱山(中央電気工業浜横川鉱山跡)
辰野町横川川流域にあった浜横川鉱山は、明治43年に開山され、昭和58年に閉山。マンガン鉱総生産量約35万トンの全国屈指の生産量をあげた。中世代(2憶5000万年~6600万年前)変成岩の地層。250~300人の人達が働いていた。

川島のお年寄りが元気なわけ
川島のご高齢の方々が生き生きしていらっしゃるのは、良い水を飲んでいるからだと思います。空気もきれいですしね。ストレス社会とは無縁でしょうし。先日も96才の方とキノコ採りに行きましたが元気です。自分から良い水を探して行くことは大切です。女性は顔を水で洗わないとダメですよ。
とても冷たいですが、私も冬でも頑張って心がけています(山崎)

無加工の澄みきった青空
何としてもここ川島をブランド化して、更にはかやぶきの館を盛り立てて行かないといけない、財産ですからね。かやぶきが出来た当時は「都会との交流」を何よりも大事にしました。薬膳にも力を入れていてね。今思うと時代が早すぎたかもしれません。「かやぶきの館農業大楽校源上キャンパス」という活動もしていました。

伸び伸び育つ矢ヶ崎さんの畑
水・空気・歴史、全てがここの財産
この地域を見てみると蔵が多い。それだけ豊かだったということでしょう。これまで先人が想像もできないほどの努力をされてきた証です。清らかな水が流れる川も魅力です。大分県日田市の水もとても品質が良く川島の水と似ています。長野県薬剤師会検査センターに持ち込んで検査をしました。

矢ヶ崎さんに教えていただき「瀬戸城」の御城印を作りました。(山崎)
古い歴史は事実関係は紐解けない部分もありますが、ロマンがあります。木曽義仲と巴御前が手を繋いで木曽までの道を抜ける時、蛇石に立ち寄っておにぎりを食べたとか。想像すると夢があるじゃないですか。蛇石だって財産。世界に3つしかないです。瑞光寺は辰野町で1番古いお寺ですし。ここの伝説を物語として作って紹介していけばいいのです。

瀬戸城 御城印[非売品]
木曽義仲の隠れ城、一夜城跡と呼ばれる城跡。別名「楡沢山城」と呼ばれる。
若い方の移住が増えていることをどう感じますか(伊藤)
色々な方がいますが、その地域を愛し、これからこの場所をどうしたら良いかと努力する人、風習を大切にしながら溶け込もうとするスタンスでいる方が人間関係うまく行きます。田舎は田舎の助け合い精神がありますから。
今後、やってみたいアイデアはありますか(伊藤)
古民家で、貴重な器やお膳を使い最高級の料理を出すこと。都会から人を呼ぶ。農業をしながらゆったりのんびり暮らしてもらってね。仕事もリモートで出来ますね。今後、都会で健康的に暮らすことは難しいと思います。
お話をお聞きして
常に常に情報をキャッチし、アイデアを形にする方。独特のセンスと発想の素晴らしさに刺激を受けました。その根底には川島を愛し、ここの素晴らしさを次世代にどうしても繋げなければという熱い思いが流れていらっしゃいます。人は誰しもそう思える居場所が必ずある、無ければ作ればいい。矢ヶ崎さんに教えていただきました。(インタビュー=伊藤 優/山崎里枝 撮影・編集・デザイン=山崎里枝)