ご自宅の田んぼは稲の穂が出始め、青々としています。ご両親の介護の為、帰ってきたのが15年前。かやぶきの館の女将さんを経て、一ノ瀬にお住まいの一ノ瀬三八子さんにお話を伺いました。
川島の原風景を昔のように取り戻せたら素敵ですね
本日はよろしくお願いします。三八子さんは、元々は川島でお生まれですか。(伊藤)
はい。母の実家が川島でして、高校卒業するまで川島で生活していました。その後しばらく東京に住み、母が介護が必要となり、父も心細かったのでしょう。私に戻ってきて欲しいと懇願され、全くは予定はなかったのですが、平成7年に川島に帰ってきました。
三八子さんにとって川島の魅力とはなんでしょう。(伊藤)
離れてみて感じたことは、田舎らしさが素晴らしい場所ということ。三方を山に囲まれていて、国道から入り口に入ると空気がガラッと変わります。子供の頃はとても賑やかな場所でした。人口はそうですね、今の倍くらいは居たんじゃないですかね。川島小学校も2クラスあり、ちょうど昭和39年皇太子ご成婚の年、記念碑が川島中学校に建立されて、川島村も、この年あたりに合併されて川島区になりました。川島小学校の隣が川島中学校があったんですよ。生徒数も多かったですし。この地区は7つの耕地がありますが、耕地ごとに神社があるのは、とても素晴らしいことだと思います。昔から信仰と共に生きてきた精神性を感じますね。ましてや辰野町は日本のど真ん中。ここで生を受けた私たちは何か意味があるのでしょうね。お祭りもとても大切な行事として行われていましたね。お神輿、傘踊り、鼓笛隊が出てとても楽しみでした。お神輿とは神様の乗り物です。神さまが神社からお出かけする時に乗る乗り物がお神輿なんだそうです。
子どもの頃の「道草」「遊び」という体験
子どもの頃は何をして過ごしていましたか。(伊藤)
山へ行ったり木登りしたり、一ノ瀬の公園の右側に畑があってワサビを作っていたんですよ。川には、かじかもいました。夏になると獲りに行って。それだけ水がきれいだったんです。学校帰りに桑の実、ツツジも食べたり。年上の子どもが危ない場所、食べると危ない物を教えてくれました。田んぼのセギにはドジョウもいましたね。あと天然の蛍がすごくいました。冬は寒く雪もたくさん降りましたし、小学校のグランドに水を張り下駄スケートもしました。その体験は宝物です。
「かやぶきの館」という職場
「かやぶきの館」の女将さんとして大変お世話になりました。(山崎)
私は、かやぶきの館のフロントとして14年。辰野町開発公社の頃から株式会社三和商会を経て株式会社TUG BOATで女将として2年8ヶ月ほど務めさせていただきました。運営会社が変わるたびに、時代にマッチした職場になってきたのかなと思います。スタッフ一人一人の強みを生かす職場、自分らしく働ける職場になっていきました。時代を先取りしていたと思います。「おもてなし」という形も時代とともに簡素化されてきていますが、私たちは日本人ですので、面倒くさがられても、おせっかいと思われても、お相手を思いやる気持ちは無くしてはいけないと思います。
農はとても大切 人間の身体は食べた物で出来ている
三八子さんは「食べるということ」を大切にしていますね。(山崎)
若い頃に栄養学を勉強したことがありまして、日本にサプリメントが入り始めた頃かしら。蕁麻疹が出るようになり、更に色々学びました。最近は、日本人が縄文時代に取っていた食事に戻るのが一番シンプルだと思い、主食はご飯のみにするようにしています。日本人が本来持っていた精神性は素晴らしいものです。しかし多種多様な食文化が日本に入ってくると、日本人に合わない食事も摂るようになります。それは個人個人で仕方がないですが、自分で調べて納得して食べる。ということは重要だと思うのです。
これからの時代、様々な職業がなくなっていくと思います
皆さん、気づき始めた方もいらっしゃると思いますが、AIの普及率が増えています。これからはAIが出来る仕事がほとんどになるので、職を失う方も出てくるとか。マイナス面もありますが、プラスに捉えると、本当に自分のしたい仕事にシフトが出来るという事として私はとらえます。人は誰でも、この世に命を受けたからには、一人一人がギフトをもらって生まれてきます。次世代は、その使命を全うするために生きていく時代が来るんじゃないでしょうか。
これからの川島区がどうなっていって欲しいと思いますか。(伊藤)
そうですね。これは川島区だけでなく、日本全体に言えることだと思いますが、どんどん新しい風、新しいアイデアを取り入れて活性化していくべきです。今の若い方々はフットワークが軽く固執した思考なども簡単に溶かしていく才能がある方が多い。これからの日本を作っていく彼らにお任せしましょう。農業もそうです。自分たちの食は自分たちで。都会の方はこの田園風景に感動されますが、今の田んぼの風景も昔の半分ですね。川島区の良さは、まだまだ世間の皆さんに浸透していないような気がして、勿体無いです。こんなに自然豊かで人も豊かな地域はありません。発信力をさらに高めて行って欲しいですね。
かわしま地域新聞も、まだまだ伸び代があると思っています。それが私の使命ですね!(山崎)
今までの人生、辛い体験もありましたが、「ピンチはチャンス」と思って生きて来ました。ピンチの時は必ず救いの手を差し伸べてくださる方がいる、「捨てる神あれば拾う神あり」です。次はどんな出来事が訪れるのかワクワクしています。いつも元気で気分よく!それが一番です。
本日はありがとうございました(伊藤)
お話をお聞きして
生まれ故郷を離れると逆によく見えるものですね。いつも柔軟な三八子さん。私の憧れの女性です。来るチャンスは拒まず、去る出来事には執着しない。水の流れのような三八子さん。オイルマッサージ、音を使ったセラピーも始めたそうです。ご興味のある方は是非いかがでしょう。(インタビュー=伊藤 優/山崎里枝 撮影・編集・デザイン=山崎里枝)