地域創生

減っていく地元の店。高まる思い。 45歳、脱サラしてまで「キッチンカーそば屋」を はじめた理由 LIVE’S KITCHEN 一升・一ノ瀬正太さん

川島もいいけれど、最近、街中の商店街がなにやら盛り上がっているらしい。新しいお店のオープンが相次いでいるんだとか。シャッターの合間に、コーヒーショップや服屋さん、アンティーク店にシャンプーの計り売り店まで。これらは、トビチ商店街と名付けられた、町中のにぎわい創出プロジェクトの一環だそう。

そんな商店街の駐車場に、暖色の明かりを灯した大きな1台のフォルクスワーゲンが。立ち寄ってみると、出汁のいい香り。よく見れば、移動販売のそば屋さんでした。お話を聞くと、なんと川島出身で、脱サラして移動販売のそば屋を最近始めたのだとか。なぜ、移動販売だったのか、コロナ禍の中、脱サラまでしてそば屋をはじめた理由、そして「〆そば文化を創りたい」という店主・一ノ瀬正太さんの夢を今回はご紹介します。

一ノ瀬さんが育った川島 そばの花が満開の9月

「〆ラーメン」ならぬ、「〆そば」文化を辰野に

ー移動販売のそば屋って珍しいですよね。いつからスタートされたんですか?

2021年7月から実験的に出店していたのですが、8月21日に正式オープンして、ここトビチ商店街の駐車場で常設店舗を出しています。駐車場に明かりが灯ってるんで、何があるんだろうって気にして立ち寄ってくれる人も多いですね。

ーお客さんからの評判はどうですか?

昔は、キッチンカーと同じようなラーメンの屋台がこの辺にも来てたそうなんです。夜になるとどこからかやってきて、居酒屋帰りにそこで〆ラーメンを食べて。そんな屋台ラーメンは今はなくなってしまったけれど、「今は〆そばが食べられて嬉しいね」って言ってくれる常連さんもいます。だからこそ、夜の営業にこだわっています。「〆ラーメン」ならぬ、「〆そば」の文化をこの町に創りたいって思っています。

秋の限定 川島産・松茸そば

原点は川島の「そば打ち文化」

ーそば屋は元々やられていたんですか?

いえ、前職は会社員でした(笑)。食品メーカーのマルシンフーズというところで営業をやっていましたが、趣味でそばを打っていたんです。実家の川島では、みんなそばが打てるんです。親父もそばを打つのが好きで。その影響で、そば打ちが得意な中村智子さんに教えてもらったり、会社員時代には、自分で打ったそばを忘年会で振る舞ったり、ついには自分の家に友人を招いて、そばイベントを開いたり。営業マンとして何百個もの食品を売るのも面白かったですが、自分の手で打ったそばを目の前で美味しいって食べてる姿を見て、直接手の届く範囲で人とコミュニケーションをする方が性に合ってるって思ったんです。

ーそば打ち文化が盛んな川島ならではですね。それではそばの技術は独学ですか?

いえ、やっぱり親父に教わったくらいではいけないと、3年間そば職人の元で修行をさせてもらいました。たまたま、松本で有名なそば屋「榑木野」の専務が会社に来ていて、冷凍のおそばを食べさせてもらったら、これがものすごく美味しくて。その日のうちに、「そば屋を開きたいんです。プロの技を習わせてください」って直談判して。もう完全に勢いですよね(笑)。そこまで本気ならと快諾してもらって、そこからは平日会社員・土日はそば屋で修行の日々です。最初のうちは自分でそば粉を買って、打ったそばを職人さんに試食してもらって。1年くらい続けたらお客さんに出しても恥ずかしくない味と認めてもらい、2年目からはアルバイトとしてそばを実際に打たせてもらいました。

トビチmarketの衝撃。「おれはなにやってるんだ」

ーそして2021年8月に開業するわけですね。移動販売のそば屋という珍しいスタイルになったのはなぜですか?

実は最初は移動販売なんて全く選択肢になくて店舗を構える予定だったんです。そこから移動販売という形になったのは、コロナの影響もありますが、「キッチンカーの聖地を商店街に作りたい」というトビチ商店街の赤羽孝太さんの夢への共感がきっかけですね。

元々、お店を出したいと思うようになったのも、2019年12月7日にあった、トビチmarketへの感動が大きくて。12月7日は、僕も遊びに行ったんですが、人通りが少ない商店街に、何千人ものお客さんが歩いているのを目の当たりにして衝撃を受けました。その頃から、自分も何かできないかってずっと思ってきたんです。色々と考えた末に、自分にとってはそばを打つことで、町に明かりを灯せるんじゃないかと思って。

ー町に明かりを灯す。

そうですね。消防団をやっていた時から、町中でよく飲んでいたので、少しずつ店が減っていくのを寂しく思っていたんです。何かしたいと思いながら何もできない中で、「10年後のワクワクする未来を作ろう」っていうトビチ商店街の動きが出てきて。「おれは何やってるんだ。今やるしかない!」って決めたんです。

そばを囲んでみんなが集える場を川島にもつくりたい

ーすごい偶然ですね!

全てが結びつきましたね。すぐに孝太さんにキッチンカーの相談をして、トビチ商店街の常設キッチンカー第一号として出店することが決まりました。

ー導かれたような起業でしたね。営業を始めて1ヶ月ほどになりますが、今後はどんなことをしたいですか?

川島でそばの移動販売をしたいですね。そばを打って地域の人が集まれる機会を作りたいんです。うちはワンコインでそばを食べられるようになってるのですが、それは川島のおじいちゃんおばあちゃんに食べて欲しいという思いがあったからで。川島も昔は、三浦亭っていうそば屋があったんですが今はなくなったし、昔は自分でそばを打っていたけど、高齢になって打てなくなった人もいます。

そんな人に向けて、そばを打って出したい。今年中にできたらと思うので、家の敷地など、キッチンカーの出店場所を貸してくださる方がいたら嬉しいです!

あと、3年後には店舗を持ちたいですね。そこに製麺所を作って、生そばを売ったり、そば教室をしたり。そのために、今はこの場所でがんばります。年中無休が目標なので、ぜひ食べにきてください。

文・写真=地域おこし協力隊 北埜航太

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