この新聞が皆さまのところに届く頃には、ちょうど第25回紅葉まつりが行われた後になりますが、川島振興会さんにとっては、まさに4年振りの「紅葉まつり」です。復活にかける様々な思いを伺いました。
令和5年「横川峡紅葉まつり」のテーマは再開!復活!です
ー待ちに待った4年振りの「横川峡紅葉まつり」開催ですね。
25年続いてきた「紅葉まつり」が、新型コロナウイルスの影響で中断してしまったけれども、その期間、形を変えて(秋の収穫祭など)なんとか続けて来ました。いずれにしても歴史のあるまつりですからね。 元々は、川島観光協会から始まった紅葉まつりです。記念すべき第1回目は平成2年でした。川島の谷をもっと知ってもらいたいという想いでスタートし、今回で25回目です。世の中がコロナ前の生活に戻り始めたので、そろそろ再開してもいいのではと思い切りました。とは言っても出店の数、関わってくださる人たちの人数は、コロナ前にはなかなか戻らないけれど、ここから再スタートという気持ちです。 飲食も復活します。コロナ禍はテイクアウト方式を取らざるを得なかったのですが、皆さんで秋の美味しいものを、その場で食べたいじゃないですか。それを目当ての方もいらっしゃいますし、野菜市中心でしたので、やはり何か物足りないですよね。
ーですが、今年は川島名産の松茸が不作でして残念です。
「紅葉まつり」復活のこの秋、こればっかりは仕方ないですね。山に雑キノコもない状態です。やっと雨も降り出しましたが、今度は気温が下がり過ぎて期待は出来ないでしょうね。その代わり、今回は能舞台でのイベント(トワトハさん)が新しい風を吹かせてくださいます。川島区以外の団体の方々が、どんどん「紅葉まつり」に関わっていただくのはとてもうれしいことです。
原点に戻り、これからの振興会を繋いでいく
ーこれからの川島振興会がどうなっていって欲しいですか。
もともとは硯職人の深澤さんが立ち上げた川島観光協会が「紅葉まつり」を開催したのが始まりでしたが、高齢化や豪雨災害など不安定な時期が続き、川島振興会を発足させました。1年間検討したけど川島小学校の件もあり、中々進まずに児童館を新しくするタイミングも重なって、次の年にやっと立ち上がりました。
現在、役員20名、会員60名。各耕地毎に会員はいるんだけど、そんなにきっちりした組織ではなく「紅葉まつり」や「花街道作り」の際に、声かければ集まってくれるそんな仲間。規模を大きくしていきたいなどのパワーは今のところまだないが原点に戻って新たな再スタートを切りたいですね。
今現在では、どんどん夢を語れる状況でもないですが、伝統ある紅葉まつりだからこそ、かやぶきの館も盛り立てたいし、大勢の人たちに楽しんでもらいたいです。
地域の若い人たちを巻き込んで活気付けたい思いはある
ーこの夏開催された「どろん田バレー」も若い世代の実行委員会主催で盛り上がりましたね。
そうですね。様々な行事もスタイルが変わって行くのでしょうね。これは、川島振興会の問題だけではないですが、川島区の様々な団体も含めて後継者の課題はあります。行事がないと活動が停滞してしまいます。出身は川島区だけど川島以外に住んでいる方が、段々増えています。そんな中、少ない人数であれもやってください、これもやってくださいなんて負担が大きすぎて声をかけにくいですからね。川島地域愛があり、尚且つ時間がある人と一緒に活動したいですが難しいです。もちろん思いのある方もいらっしゃいますが、皆さん子育て世代、働き盛りです。どうしても我々世代が中心の活動になってしまう。それでも「紅葉まつり」は、川島区の外に出ている方も、帰ってくるきっかけになります。
この4年間が私たちの日常に与えた影響
コロナの影響で人との接触がほとんどなくなってしまって、さあこれからという時に世の中の風潮が、別に集まらなくても大して困りませんし、会議に出て行くのも億劫になってしまいました。会議内容もメールで送ればそれで済んでしまうし、我々は楽を覚えてしまったね。コミュニティも少なくなりました。以前は各地区の営農組合で毎年収穫祭を行っていました。手打ちそば、漬物、五平餅を皆で集まって作り呑んで楽しかったですね。最近は高齢化で作り手も大変になってきてるしね。だんだん行事も寂しくなるね。今後すぐには難しいかもしれませんが、やはり地域の繋がり、集まって何かを起こすというのは大切で、徐々に徐々に戻していきたいと思いますね。
川島振興会の活動
お話をお聞きして
かやぶきの館としても「紅葉まつり」の再開は心待ちにしていました。お問い合わせも多く、皆さん楽しみにされていたと実感です。やはり「川島区・かやぶきの館の秋は紅葉まつり」がこれからも合言葉でありますよう盛り立てていきたいと思います。
(インタビュー・撮影・編集・デザイン=山崎里枝)