農業

川島には自然という 多くの資産があります 飯沢将武さん

キジが鳴いてますね〜。のどかですね。今日は信濃川島駅の西側の飯沢将武さんの畑にいます。1日に数本来る電車も風情があっていいですね!昭和15年生まれの83歳で日焼けしたお顔からは、何処か言い表せられない自信を感じます。

蕎麦殻を主体にして生ゴミや雑草などを混ぜて発酵させた堆肥

ー大きな畑ですね。「ケーン。ケーン」キジが鳴いてます。

以前はこの大きな畑を何人かでやっていましたが、今では、私一人になってしまって。最近は、川島に移住してきた若者らにも畑を提供しています。みんなの農業講師役になっています。20年前に町会議員を辞めてから、農業を本格的にやり始めたました。栗や梅も新たに植えて昨年より、収穫もできるようになりました。梅は東北地方の紅映えという品種で小梅がたくさん実っていました。茗荷やブルーベリー、タラの芽、プラム、イチゴ、フキ、馬鈴薯、ネギ、カボチャ、ラズベリー、山形の蔵王というタラの芽も取り寄せています。わらびも大きく育っていました。肥料は蕎麦殻を主体にして生ゴミや雑草などを混ぜて発酵させた堆肥を使用、中は70度くらいになっていますので有機肥料としては最高な質になると言います。この堆肥を使った、ほうれん草は甘くおいしいいものに育ってますね。有機野菜は昔から作っています。堆肥も自前で作っていますよ。

蕎麦殻を主体にして発酵させた堆肥

ー大量出荷するほどではないにしろ、安心安全な野菜を作って提供することは、[かやぶきの館の元々薬膳薬草を主とした営業形態]に共感できるものです。

ほうれん草もイキイキしています

採れたての野菜をそのまま食べることは味が全然違うと思うよ。食べてみればわかる。ピーマンやインゲンをサーっと炒めただけで野菜本来の味を感じられる。「うまいな〜」の声が思わず出ちゃうよね。

ーこの畑を今後どのようになったら良いと思いますか?

ここは土も良いし、石もなく、獣も寄り付かない場所だから、次の方に繋いでいきたいな〜。今は俺がなんとかやっているけど、でも今後はどうなるのかが一番心配だなあ。畑は大変だけどやり甲斐がある、一汗流した後は帰りの駄賃で収穫時期の何か持って帰れるのがうれしいなあ。

川島になくてはならない、いいざわ商店のこと

飯沢さんのお店、いいざわ商店は昭和初期に今あるお店のお迎えの長屋を借りてお菓子を並べながらの出店したそうです。その当時は肥料も販売していたとのことです。鰻も30年前にお店をリフォームした時の開店イベントに友人の方から分けてもらって、以来捌き方を学び、タレも試行錯誤しながらお客様に喜んでいただけるように提供し続け、今では多くのファンの方が注文していただけるようになりました。

かやぶき売店でも人気の手造り山椒味噌とりんごジャム

飯沢さんには3人の娘さんがいます。教育方針はお店をお手伝いしながら勉強をするという実践型です。学校で学んだことは必ず復習をするように指導していたようです。この辺り、私も経営で学んだことを復習することの大切さを改めて感じさせられました。でもやってないな〜!東京で心理学を教えている長女さんは不登校で友達付き合いが苦手な子を面倒を見ています。この川島のような自然いっぱいなところで教えることができたら良いな〜と最近特に考えるようになったそうです。川島の山麓を馬と一緒に歩くホースセラピーをすることで子供たちの心の解放に導くことはできないだろうか?というような発想もお持ちのようです。かやぶきの館でも8月から本格的なキャンプ場をオープンする予定でいますので、薪を割ったり、火を起こしたり、バーベキューをしたり自然から学べることを中心に考えていますので、コラボできたら良いな〜と思いました。この川島には自然という多くの資産があります、これをどうやって使っていこうかと大きく夢も広がります。辰野町は有機農業を推進する町というコンセプトを打ち出しました。

一言では表現できない、川島の魅力とは

ーとにかく、いつも新たなる挑戦をし続けている飯沢さんはとっても魅力的な方ですね。川島という場所について飯沢さんからの思いを聞きたいです。

川島は人口が少なくなってきましたが、ここが良いんだと移住する方も増えてきましたね。移住してきた方の多くの考え方に私は共感ができるなあ。従来の、価値観に変化を感じ里山で自給自足の生活を送ることに対する共感でしょうかね。また移住された方はここ川島は人が違うと言うんだよね。地域の方が移住された方々を気持ちよく迎える風土があるんじゃないかな。自立している地域なんでしょうね。

山の文化がその理由になるのではと思う。昔は川島地区は上島地区、横川地区と二つの地区が合併してできた地区だね。門前はお寺もありここは中心になっていたね。山付きですし、山と共に生きていたものですから今でも山人の気風が残っているのではないだろうか?人が違うと言うのも、里の民とは違うなにかを感じているのではないでしょうか。  以前、議員時代に町の担当者とこの地に移住案内をしたおり、川島全体を案内してから、ゆっくり話をお聞きすると、多くの方々が里に近い方ではなく、山奥の住居を欲していました、住んでいる我々との大きな違いを認識しました。またそこに、川島の魅力を発見する機会にもなりました。各部落ごとある神社も、地域とのつながりを強化するものでもあります。山の民にはこうした神を敬う文化も根付いているのでしょう。木を切り出したり、ケモノを猟したり、炭を焼いて生計を立てたりと、今では松茸が有名ですが山からの恵みを存分に受けています。横川ダムに沈んでしまった家に住んでいた友人が、猟師として生計を立てていました。その当時は一人で山に入って、仕留めて、獲物もソリなどを利用して持ち帰っていたそうです。ソリは山にあるものをナタ一本で作ったそうです。山で生きている感、満載ですね。

お話を伺って

飯沢さんにかつての川島のお話をお聞きしていると、一晩では終わりそうもありません。そういった気風が他所から来た人にとっては不思議な感覚を覚えるのでしょう。山の文化と里の文化、一度調べてみたくなります。門前辺りからは赤坂峠という木曽に通るルートがあったそうです。馬車が通れるくらいの道だったのかな〜?そんなルートも一度調べてみたいな〜。木曽沢という場所もきっと木曽に抜ける、道があったと思います。地名から歴史を紐解くとさらに面白いでしょう。

 そう言いながら、これもってかしと。わらびをいただきました。今晩のおかずが一品増えました。畑をやってみたくなりました。飯沢さんありがとうございました。魂の修行僧 いとうまさる でした

(文=伊藤優)(編集・レイアウト=山崎里枝)

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