農業

「美しい田園風景を孫の代まで」耕作放棄地ゼロ目指す、地元と移住者の取り組み

僕が川島のファンになったのは、2016年の夏でした。国道を左折して、川島の農道を通ると、一面に青々とした田んぼが広がっていて、「こんな景色を見てみたかった!」と感動したのを今でも鮮明に覚えています。東京から辰野に移住したいと思ったのも、その時の光景が忘れられなかったことが大きいです。そしてそれは僕だけでなく、川島に移住された方の多くが、川島の美しい景観を移住の理由に挙げます。

そんな川島のシンボルともいえる田んぼ。今回は、そんな川島の田園風景を守り、未来に繋げようと取り組まれている、渡戸営農組合と新たに田んぼ再生を始めた若手グループの活動のこれまでとこれからに迫ります!

耕作放棄地ゼロの渡戸、その理由

川島の玄関口である渡戸耕地で、耕作放棄地ゼロ、美しい川島の原風景を守るために活動されている渡戸営農組合。個人が管理できなくなった田畑を営農組合が引き受けて、田植えやその管理を担っています。

収穫したお米は市場に出荷し、管理運営の費用に充当することで、きちんとビジネスとして持続可能な仕組みを実現。また、ある組合員の方は、「退職した後にもこうやって仕事があると張りがでていい」と語り、引退後の生きがいづくりにも一役買っているようです。

そんな渡戸営農組合が生まれるきっかけとなったのは、渡戸で4町歩ほどを管理していた大規模営農者の引退でした。「このままでは耕作放棄地が出てしまうかもしれない」という危機感から、平成10年に、赤羽正章さんをはじめ、会社を引退した60代メンバーなど15人ほどの有志によって組合はスタート。

当初は田んぼ2町歩、そば2町歩、小麦も1町歩弱ほどを管理しました。最初はそれぞれ考え方も違うし、時間も合わず、組織としてまとまるのは簡単ではなかったそうですが、「川島の原風景をずっと守りたい、という思いだけはみんな一緒だった」と現・渡戸営農組合長の船木善司さん。今では渡戸の大半が営農組合に加入し、まさに耕地一体となって、田園の景観保全に取り組まれています。

合言葉は「みんなでやろう」

船木さんを中心に渡戸営農組合についてお話を伺って、とにかく印象的だったのは「みんなでやろう」というチームの精神。

5月20日に、渡戸営農のメンバー総出で田植え作業があり、僕も一緒に参加させていただいたのですが、そのチームワーク力に感動しました。コンバイン、苗の補充、手植え担当など30人ほどのメンバーそれぞれに役割分担がなされ、広大な田んぼへの田植えがたった半日で完了してしまいました。

孫の代までこの風景を残したい

「1人の力と10人の力じゃ全然違うからなあ。きちっと役割分担するのも、仕事の負担を平等に分け合って、みんなで楽しくやるためだよ」と、船木さんは取材中に何度もみんなでやることの価値について語ってくださいました。そんな船木さんももうすぐ80歳。組合の高齢化も進んでいます。

「あと10年間はこの体制でやっていけるだろうけど、その先は分からない。田植えに欠かせないコンバインの寿命も近づいてきたしな。渡戸を含めて耕地それぞれが単独で管理できなくなったら、川島全体や辰野全体で営農体制を作る必要もあるかもしれない」

「でもやっぱり、草ぼうぼうになって、獣と一緒に住む川島なんて見たくない。孫の代までこの川島の田舎風景を残していきたいなあ」

船木さんには、世界各地で活躍されているビジネスマンの息子さんと、お孫さんがいらっしゃいます。ときおり実家に帰っていてくれるお孫さんのためにも、この景色を守りたい、という真っ直ぐな思いに触れ、取材中に少し目頭が暑くなりました。

2期にわたって渡戸営農組合の会長を務められている 船木善司さん

毎年秋頃には、黄金の稲穂で川島がいっぱいになります

Uターン&移住者が始めた
休耕田再生プロジェクト

一方、川島区飯沼沢耕地では今年から若手メンバーによる新たな取り組みがスタートしました。

その名も「L e t ’ s 米米米倶楽部( レッツマイマイマイクラブ)」。

6~7年の間、休耕田として管理されていなかった田んぼ2枚を、再び田んぼに戻そうという試みです。飯沼沢耕地においても、所有者が耕作できない田畑は飯沼沢営農組合に管理が委託されていますが、この2枚については耕作放棄地となっていました。

そこへ立ち上がったのがこのプロジェクトの発起人でグループのリーダーである飯澤清成さん。川島の実家が農家だったため幼いころから農作業を手伝っていたものの、18歳のときに上京し経理の道へ。農業からは長らく離れていました。

川島にUターンするきっかけとなったのは、2011年の東日本大震災。食の安全を支える農業の大切さに気が付き、また同じころ両親の介護が必要となったため実家に戻ることを決意しました。

農業の勉強を本格的に始める中いろいろな農法があることを知り、特に「奇跡のリンゴ」で知られる木村秋則さんが推奨している自然栽培に惹かれました。「これからの農業はこれだ!」と自然を生かした魅力にのめり込んでいったといいます。

栽培1年目の平成30年、周りからは農薬・化学肥料を使わないと「絶対できない」と言われる中、所有する田んぼでつくったお米がJA農産部品評会で「銅賞」を受賞。

2年目は作付面積を10倍に増やし、JA農産物品評会で前の年を上回る「金賞」を受賞。食味検査で「A」ランクの美味しいお米と評価され、収穫したお米の販売も始めました。

そして3年目の今年は、「お米づくりに参加してみたい!」という声を受け、みんなでお米づくりに挑戦することにしました。「自分もまだまだ経験が浅いので、お米づくりの指導というよりは、みんなでわいわい楽しく、試行錯誤しながら美味しいお米を作ろう!といったプロジェクトです。地域振興と美しい景観を守ることにつながれば、という想いで始めました」(飯澤さん)

このプロジェクトに参加しているのは飯澤さんご夫婦の他、我が家を含むこれまでほとんど米作りの経験のない川島に移住した5組の家族。

「将来自分たちでもお米を作れたらと思っているのでその勉強に」
「自分たちの食べるお米を子どもと一緒につくりたい」など参加理由は様々。

0歳~9歳までの子ども達も6人参加した5月末の田植えはとても賑やかでした。


地域のベテラン世代が守り続けてきたこの景色に、惹かれ移住した若手世代が、次はその景色を守る担い手に。「この景観を守り、伝えていきたい」という思いのリレーは着実に次世代にも引き継がれていると実感した取材でした。そういった取り組みを少しでも応援できるよう、今後も地域新聞で取り上げさせていただければと思います。
(地域おこし協力隊 北埜航太)

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