子育て

辰野から日本、世界へ。川島に移住し、“開花”した天才〈三村大悟〉

お茶目でピュアな天才。大悟くんのことを一言で言い表すなら、僕はそう表現します。大悟くんは、2歳で絵を描き始め、6歳で初の作品を発表。9歳で初めて美術展で受賞し、そこから国内外数々の賞を受賞。

そして2020年9月には名古屋三越で、10月には表参道で個展を開催予定など、活躍の場を長野県から日本へと広げる、新進気鋭の表現家です。その一方で、プラレールとYouTubeを愛し、持ち前の茶目っけで地域のみんなからも愛される、ふつうの少年の一面も。僕もしょっちゅう遊ばれています(笑)。

今回の特集は、そんな大悟くんのお話。彼の才能が大きく花開くきっかけとなった、東京から川島への移住秘話や、心を打つ作品が生まれる創作の背景についてご両親にお話を伺いました。

「アトリエ」と「小学校」を探し求めて川島へ

大悟くんは元々東京のアトリエ教室で絵を描いていたそうですが、川島に移住しようと決めたのは何故ですか?

三村和彦(父)
2つありました。1つは元々通っていたアトリエ教室を卒業して、そろそろ大悟のためのアトリエを作ってもっと自由に表現させてあげたいという思い。もう一つは、大悟がのびのびと成長できる環境をということで、人数が少ない学校を探そうというのがきっかけでした。ただ、探してみても小規模校って木曽とか山奥の方にしかなくて。困ったなあと思って、辰野のある南信エリアで探していたら、たまたまネットで川島小学校を見つけたんです。美香子は安曇野、私は塩尻の出身なんですが、「え!こんな近くにあったの?!」と驚いて(笑)。

美香子(母)
見つけた翌日には、学校に見学に行きましたよ。そしたら、たまたま対応してくれた伊藤先生がパパと同じ靴を履いていて。「一緒!」って大悟も喜んで一気に打ち解けました(笑)。その1週間後には運動会を見学したんですが、地域の方から松茸おにぎりをたくさんいただいて。初めて来た親子にそんなおもてなしをしてくれる地域の方の優しさに感動して「ここにしよう!」と即決しました。

ゲストハウスアトリエ和音を始めたきっかけについても教えてください。

美香子(母)
移住当初は、農村滞在向けのコテージ土恋処に住みましたが、アトリエができる物件を引き続き探していました。そんな時に、今の和音に出会ったんです。ここを内見した時、かなり広いからゲストハウスにして東京からの友達を招いてもいいなあと話していたら、案内してくれた協力隊の方が、「ちょうど昨日ゲストハウスやりたいって見に来た女性がいましたよ!」って。
それがいま一緒にゲストハウスを運営してくれている田中友美ちゃんだったんです!すごい偶然でしょ?(笑)。会ってみて一気に打ち解けて、ゲストハウス兼アトリエの和音がスタートしました。

ハワイと川島で描いた絵が初受賞

たんぽぽが咲き誇る川島の土恋処にて

大悟くんの初の受賞作品(全国公募IAC美術展)はハワイと川島の両方で描いた絵だったということですが、川島に移住してきて大悟くんのアート活動にどんな変化がありましたか?

美香子(母)
人生初の受賞作品は、9歳の時にハワイで描き始め、川島で仕上げた「たんぽぽ」という作品でした。川島に移住した時は秋ごろで、そこから冬、春を体験したんだけど、その時間がすっごく特別で。透き通った星空、純白の雪、いのちが芽吹く春。ありのままの川島の自然に触れて、誰にも習うことなく、目に見た自然をそのまま表現したら、受賞したんです。きっと感性が研ぎ澄まされたんだと思います。

さらに2回目の受賞は、和音をDIYリノベーションしている最中に描いた、「雪」という作品でした。町の移住定住促進協議会の空き家DIY制度を使わせていただいて、171人もの方と一緒にDIYしたんですが、大の大人が、壁を壊したり、ペンキを塗ったり、本当に楽しそうに作業しているんです。大悟もそれを面白がって、漆喰を絵具と混ぜて描いてみたり、ペンキに使うハケを用いたり。DIYの楽しい雰囲気や人との交流にインスピレーションを受けて、自由に描いたから2度目の受賞につながったんだと思います。
プロの方も「どうやって描いたんだ!?」とびっくりされます(笑)。

パパが大好き!

心を満たすことが良い表現に繋がる

美香子(母)
実は私の叔父も絵描きなんですが、むかし叔父に聞いたんです。

「大悟が良い絵を描くにはどうしたらいい?」って。そしたら「大悟が絵に描きたくなるような、楽しい体験をいっぱいさせてあげることだ」と。その言葉がすごく響いていて。絵の技法は教えられないけれど、本人がやりたいと思うことを出来るだけ好きなように、満足できるようにやらせようと。

満足のいく体験ができると、心の中にそういう体験やその時みた景色が残る。大悟はそれを表現しているんだと思います。プラレールで遊びたいっていったら思う存分やらせるし、川遊びしたいといえば満足するまでやらせてあげる。

心を満たすことが良い表現に繋がっていく。私たちはそこに全力ですよね。親の私がいうのも可笑(おか)しいと思われるかもしれませんが、大悟は日本一、幸福な少年時代を過ごしていると思います。

自分の子どものように大切に思ってくれる地域の皆さんや学校の先生、仲良くしてくれるお友達や川島の弟や妹たち、シェアメイトの友ちゃん、こーちゃんたちがいてくれて。川島が丸ごと家族のような温かさなんです。

心が満たされる生活を送っているから、感性も豊かになって、良い表現につながっている。その意味で、大悟の描く作品は川島や辰野町の皆さんとの関わりの中で生まれた「共作」と言えるかもしれません。本当に地域の皆さんへの感謝しかありません。

地域のおじさんの宴会にちゃっかり混ざる大悟くん

川島から世界へ、行く前に。
初の「全作品展 in 辰野美術館」

今後の展望を教えてください。

美香子(母)
皆さんのおかげで川島に移住してから100枚以上の作品を描きました。
思う存分描けているから、徐々に評価もしていただいて、美術界では一定の権威がある三越や、東京の表参道での個展も開けることになりました。良いきっかけを頂いたので今後は活動のステージを辰野から日本、そして日本から世界に広げていければと思っています。

その前に、お世話になっている辰野町でこれまでに描いた全作品をお披露目する作品展を開かせていただくことになりました。ぜひ皆さんにも見ていただけたら嬉しいです。

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