文化

人間の心は自然と一体である 瑞光寺ご住職 後藤浩道さん

瑞光寺のご住職は、私の母親の葬儀の際に伴奏者としてお参りに来ていただきましたので、お客さまと座禅の修行をして以来、3回目の出会いとなります。本日はかわしま地域新聞の対談としてお世話になりますがよろしくお願いいたします。

瑞光寺の歴史

瑞光寺は何時ごろ建てられたのでしょうか?川島門前にある白鳳山瑞光寺は、1255年、建長7年の鎌倉時代。今からおよそ768年前に建立されました。蘭渓道隆(大覚大師)の創建という記述もありますが、正確には不明と言われています。大師は1213年~78年の僧でありその頃ではないかと思われます。もと高遠(現伊那市)の建福寺の末寺。阿弥陀如来像は鎌倉時代末期のものだそうです。また宝篋印塔が二基あります。すぐ近くの熊野神社(川島)の神宮寺であり、熊野神社の祭礼では当寺の住職も参加するそうです。非常に歴史あるお寺で境内に入った瞬間に心が洗われる気がしました。魂の修行僧を名乗っている私の心の拠り所になるな〜。そんな感じもします。ここは川島の住人が、大覚大師さまがこの地を遠て京都へ戻られたおり、お寺創建の願いをしたと伝えています。場所に関してはちょうどかやぶきの館あたりからこちらを眺めた時、沼地からサギが飛び立つのを見て、池も出来るしここが良いのではないかとこの場を選んだそうです。山号は白鳳山と名付けました。

「高遠石工」約1400人、その最高峰とされているのが守屋貞治(1765~1832)

「稀代の名工」と言われた

座禅とは答えのない修行

 先だっても坐禅をさせて頂きましたが、座禅もすると、心穏やかな気分になります。ここの臨済宗は座禅に取り込んでいます。お時間はお線香1本分30分を目安にしています。坐禅をしながら、雑念をなくすということを考えながら取り組んでいましたが、中々思うようにはいきません。その辺りご住職はどのようにお考えでしょうか?

雑念をなくすと言っても人間ですからそれは難しいと考えます。雑念をなくすのが目的ではなく、長い間座っていると自然の中に溶け込むと言う感覚になります。そこで自分というものは何者かと考えるようになるわけです。永遠の答えのないなかでの修行となります。

普段生きている生活の中で、自分を振り返るような時間は取れないものですから、こういった自然の中の空間での時間は貴重になりますね。

こうして中を見渡すと、天井は高く、太い梁が見え、畳の香りも気持ちが良いものですね。

お寺があることでご先祖さまを敬う気持ちが生まれる

 先日も一ノ瀬酒店さんにおじゃました折、天井が高く太い梁に感動いたしました。 ちょうど、祖母の在所が長谷村にあり、曽祖母の連れ合いが神主をしていたものですから小さい頃、遊びに行くと、土間があり、囲炉裏があり、大きな梁剥き出しの天井に欄間や大名行列の書かれた襖を見るのが楽しみでそれを思い出しました。

夏場はとても快適ですが冬場の寒さは身にこたえます。

 そうです。かやぶきの館も冬は外も中も変わらないほど冷え込みます。ぴーんとした空気も痛いくらいです。中で火を焚くと、かやぶきはそれを優しく包んでくれます。日本人の知恵でもありますね。こうして畳に座っていても、私は正座はもって30分くらいですが、ご住職はもう慣れたもので綺麗な姿で座っていられますね。

私は一宮で5年の修行を経て山梨県のお寺に戻りました。この瑞光寺はお寺の中でも8ランクあり、その中でいちの一という最高ランクに位置するお寺です。そこへ入る住職は5年以上の修行が必要でした。とても厳しい修行でありました。

お寺があることはご先祖様を敬うということもでき大切にしたい文化だと思いました。 ところで今、ご住職が着ていられるのはどのようなものですか?

これはパッチワークのようなものになってますが、そもそもインドでお釈迦様が修行していたとき、裸でいたものですから悩み事を相談して説法をしていただいたときに、貧しい生活をしていた信者さんが貴重な布を提供し、これを細かく縫い合わせたことを模して作ってあるそうです。布を施すとして布施と言います。今ではお金でお渡ししますが、私たちはその心を忘れないために、今でもこうして着用しています。

勉強になります、そこから来ているんですね。

この布は一枚になっていて、昔はお寺も畳などなかったものですから板の間にこの布をひいて、この上でお経を唱えました。藍染の衣は修行中に着ていたもので、これが良い感じに色落ちしてくると、貫禄もついてきたように思えます。私はこのお寺に来て17年が経ちます。元々は山梨のお寺さんの子供として生まれて、縁があってこちらに来たんですよ。

私は川島のこの地は、高遠で言うところの美義という地区に似ており、 昔の里山が残っていると感じます。

そうですね。私は、国道から入ってくると思わず故郷を思い出しますね。 人間の心は自然と一体である。と感じます。

ご住職は座右の銘というものはありますか?

私は「日日是好日」という禅語のひとつが好きであり(もともとは、唐末の禅僧雲門文偃の言葉とされ『雲門広録』巻中を出典とするが、一般には『碧巌録』第六則に収められている公案として知られる)今この瞬間が幸せであり、今ここを生きていこうという意味で、初めて修行の時お師匠さんからこの言葉をいただきました。

お話を伺って

「日日是好日」私もとてもこの言葉は好きで、過去も未来もなく今この瞬間を全力で生きる!という気構えでいつもいたいなと思います。今をどう生きるかが永遠のテーマです。今この瞬間を生き切ることで、因果応報つながって行くということなんですね。ご住職、今日はありがとうございました。 瑞光寺さんはかやぶきの館の近くですから、また坐禅に伺いたいと思います。今日は貴重な時間をありがとうございました。               魂の修行僧 金太郎でした

(文=伊藤優)(編集・レイアウト=山崎里枝)

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