農業

世界めぐって、たどり着いたこの地。自然とつながる暮らし求めて。

今回は川島に3年前に移住し、今年新たな一歩を踏み出そうとしているふたりをご紹介します。海外や国内をあちこち巡り、自分の歩むべき道を探し続けてきた山浦泰さんと田中友美さん。そんなふたりのこれまでとこれからのお話です。

山浦 泰(やまうら たい)さん
塩尻市出身。2歳から21歳まで東京で育つが、東日本大震災のあと、家族で塩尻へ戻る。17年4月~20年3月まで辰野町地域おこし協力隊として農業の6次産業化の推進や地域ブランドの創出に携わる。沖縄出身の奥様とふたり暮らし。今年より自然栽培を基本にした「ゆがふ農園」として農家を始める。

田中 友美(たなか ともみ)さん
東京都出身。ホテルや園芸会社での勤務経験や海外への渡航歴も豊富。18年4月から川島区渡戸地区にあるゲストハウス「アトリエ和音」管理人を務める。リースや酵母ドリンク、味噌づくりなど手しごとイベントを行う「魔女ラボ」の開催や、書道教室など川島を拠点にマルチに活躍中。

「農」が自分の道を決めた

広瀬:
3年前に初めてお会いした時、20代で若い男の子がどうして長野県のしかも辰野で農業?というのが私の印象でした。どうやって農業、そして辰野町川島という地にたどり着いたのですか?

山浦:
東京で学校を卒業してからはよく仲間と日本のあちこちに旅に出ていましたが、3.11を契機に東京から塩尻に引っ越して。その後知り合った人に「畑をやらないか?」と誘われたのが農業に出会うきっかけでした。その塩尻の畑がたまたま周りに有機農家さんが多くて。おじさん達に色々教えてもらううちに面白くなって父と一緒に安曇野の有機農業塾に1年間通いましたね。

広瀬:
そこから川島にたどり着いたきっかけは?

山浦:
塩尻でマクロビのお菓子を作って販売していた兄が、川島の古民家を改修してカフェをオープンすることになって。その手伝いをしていたら、地域おこし協力隊のお話をいただいたんです。それで川島に住むことに。

広瀬:
田中さんはこれまでどんな人生を?

田中:
私は専門学校に入った後、2年生のときに1年間休学してカナダに語学留学をしたんです。そのときに「WWOOF」(ウーフ)に出会いました。

WWOOFとは「食事・宿泊場所」と「労働力」そして「知識・経験」を交換するもので、お金のやり取りのない人と人との交流の場です。

そこで滞在したカナダの農家さんのところで日本にはまだなかった色鮮やかな野菜や農業を仕事にするということに衝撃を受けました。その後日本に戻って就職したものの、求めていた仕事とのギャップからストレスで体調を壊してしまいまして。

その頃から自分は田舎に住むほうがいいんじゃないか、と意識するようになり、移住先を探す旅が始まりましたね。

その後は働いて資金を貯め、フランスやイタリアでWWOOFで働きながら農業を学び、また日本に戻って働いてはまた海外へ、というのを繰り返していました。フランスで紹介された日本人農家を訪ねて長野県に訪れたりと日本でも長野県や全国あちこちの農家さんを訪ねて滞在しながら農業を勉強しましたね。

でもその旅の中で、果たして自分は「農家になりたいのか?」ということを疑問に思うようになりました。農業を生業とするというよりは「どういう場所でどういう暮らしをしたいか」なのではないかと。

そこから「農業+α」を考えるようになりました。例えば農業をしながら宿をやったり、カフェをやったり。自分で「場所」をつくりたいな、と。

そんな中で、山形村にあるドイツパンと菓子の店「ビオランド」で住み込みで店と家事育児のお手伝いをしていたんですが、そのときの知り合いの方から辰野で男の人がカフェを始めるよ、と聞いて。

また同じタイミングでSNSでDIYイベントの参加募集を見て、辰野って思ったより近いから行ってみようかな!と。そうしたらその男の人というのが山浦くんのお兄さんの山浦祐貴さんだったんです!その後ホテルのレストランで働いた経験から、あれよあれよと「農民家ふぇ あずかぼ」のオープンを手伝うことになり(笑)。

さらにはちょうどあずかぼの隣の家をアトリエ兼住居として借りようとしていた三村家(現アトリエ和音オーナー)と出会い、あっという間にゲストハウスの管理人に決まりまして。この4月でオープン2周年を迎えました。

昨年度始めた「有機農業合宿」

昨年度、あさひ農村振興協議会の補助金を受けて「有機農業合宿」を行ったお二人。農業体験をきっかけに辰野町の関係人口を増やす試みで、東京や愛知など都市部から様々な年代の人々が訪れました。

広瀬:
農業と川島、ふたつの共通点を持つおふたり。たまたま川島に関わるようになったのも同じタイミングですね。おふたりってどんな関係なんでしょうね?

山浦:
うーん、なんだろう(笑)。「同年代にはいない、野菜づくりの話ができる友達」ですかね。

広瀬:
人に農業を教える、というのはどうでしたか?

田中:
最初は私がお話をもらったんですけど、これまでいろいろな農家さんのところで勉強して実践はしてきたけど、教えるとなると知識というか、理論というか、そういうものが私にはなくて。それで山浦くんに一緒にやってもらうことにしたんです。

広瀬:なるほど。経験者の田中さん、知識の山浦さん、のコンビですね!

花ひらく、2人のこれから

広瀬:
昨年末で山浦さんは地域おこし協力隊の任期3年を満了し、今年度からは引き続き川島に住みながら農業一本でやっていかれるのですよね?

山浦:そうですね。川島には3年住みましたが、自分たちにとって住みやすいな、と思った場所でした。もともと川島のみなさんは生活の中に農業というものが自然にある。その辺に親和性があったのかなと思います。この場所でまずは自分たちが自給自足の暮らしをしたい。そして「ゆがふ農園」として今年の6月からお客さんのお宅へ野菜を直接届け販売する予定でホームページなども準備中です。みなさんがよく使う野菜の他、雑穀やトマトのホール缶などの加工品づくりもしたいと思っています。野菜づくりに必要な藁も欲しいから来年からはお米もつくりたいですね。

広瀬:
田中さんは川島の渡戸に新たに家を借りたとか?

田中:そうなんです! アトリエ和音ではもともと味噌づくりや醤油づくり、野の花でリースをつくったり、といった自然体験のできる宿にしたかったのですが、少し手狭になってきたので思い切ってもう一軒借りることにしました。
農業の方も西洋野菜など自分が美味しくて食べたいものを中心に作るため、畑も新たに借りました。WWOOFの募集もして海外から農業やゲストハウスの手伝いをしてくれる人たちの受け入れも予定しています。そのために、まずは借りたお家の改修や増築をしないとですけどね!

広瀬:
改修や農作業のために、廃材や古材、農業や昔手仕事で使う道具などを集めているそうですね。

田中:
これから捨てる予定のある方は、ぜひ一度お声がけくださると嬉しいです。現物を見させていただいて、引き取れるものがあればいただいて改修などに使いたいと思っています。辰野町内であればすぐ行きます!

若いふたりの新たな道。世の中が不安でいっぱいの中、ふたりの生き生きとした表情に希望を感じ、明るい気持ちになりました。

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